暖簾の発祥

暖簾はもともと、屋内に直接風邪や光が入り込むのを防いだり
目隠しとして使われていました。

主に農村や漁村、山村の家々を開放部にかけられており、
デザインは無機質な白無地や色無地が一般的だと言われています。

昔のデザイン

鎌倉時代以降になると、暖簾の真ん中に様々な文様が描かれることが
多くなり、メッセージ性が意識されはじめた歴史を持っています。

のれんに屋号などの文字が入ったのは桃山末期頃と言われていますが、
江戸時代になり庶民の識字率がぐっと上がると、文字の入ったのれんが
多く使用されるようになりました。

寛永三年には屋号や業種、商品名等の文字を染め抜いた白抜きのデザインが
特に多くなったと言われています。

現在使用されている暖簾は、染料や生地、染色技術など
格段に良くなってきたことから、自由なデザインに仕上げることが
出来る様になっています。

昔は技術力も低く、使用する生地や染料なども限られていたため
もっとも簡単に作成することが出来る麻布の藍染めが使用されていました。

暖簾の色も業種によって約束事があり、手堅さを重んじる商家は
紺色や藍色が多く、お菓子屋や薬屋は白など特徴があったと言われています。

紫色は本来高貴な人が利用する色として、庶民の間では禁色とされていましたが、
江戸時代になってからは、金融機関から借金したものは返済が完了するまで
紫の暖簾をかけておかなくてはならない、といったユニークなエピソードが残っています。

紫ののれん

暖簾の種類

暖簾は布製のものが一般的と言われていますが、中には縄暖簾や竹や木管、
ガラス玉やビーズなどを利用した様々な種類のタイプが登場してます。

また暖簾をかける場所や使用目的の他に、竹の寸法によっても暖簾の呼び名は変わります。

まず標準竹の半分の長さとなる、約56cmくらいのタイプを半暖簾と呼び、
店内の様子や陳列品を見せるためにも、わざと短めのサイズにしている特徴を持っています。

布丈40cmくらいの短めのサイズのものは、水引暖簾と呼び店の間口いっぱいの
軒先に張ることで、お店の看板としての役割を果たしているのです。

一般的に暖簾は閉店と共に店の中に取り込むことが多いのですが、水引暖簾に関しては
夜間もずっとつけっぱなしの状態で置いておくことが特徴となっています。

また、割れ目の一切ない変わった暖簾もあります。
大風呂敷のような1枚布の上辺と下辺に縫い付けて、上端を軒先に
株を道路にせり出させて取り付ける日除け暖簾です。

風にあおられるとバタンバタンと太鼓を叩くような音がすることから
別名「太鼓暖簾」としても呼ばれました。

この太鼓暖簾は開度の道幅が狭かった京都、大阪ではあまり普及せず
主に道路の広い江戸で広く使用されていた歴史があります。

また、一部の商家では、他店との違いを明らかにするためにも
暖簾じるしを定めることが多くなりました。

大手の商家は実際に両替店を開店させることにより、両替店を利用した
為替で詳細を発揮していきます。

京都、江戸や大阪間での為替業務の解説したことにより、江戸幕府に対しての
御用為替方としても活躍しました。